369daysのROOF TOPIC
第5回
横浜で屋上遊園地を運営する
「株式会社ナコス」を特集!

(前編)

この記事は フリーペーパー『屋上とそら』Vol.39に掲載された「369daysのROOF TOPIC 第5回」の完全版です。

2019年6月。東京都武蔵野市にある東急百貨店 吉祥寺店の屋上遊園地『ちびっこランド吉祥寺店』(以下、吉祥寺店)が閉園しました。屋上に出ると響いてくる子供達の楽しそうな声と乗り物の音。遠くに見える富士山。季節の空気と、下の階のレストラン街の空気が混ざった不思議な匂い・・・ なぜこんなに鮮やかに思い出せるかというと、以前、私mikkoはここ吉祥寺と、2012年に閉園した屋上遊園地『スカイランドたまプラーザ店』(以下、たまプラーザ店)で働いていたのです!

当時一緒に仕事をしていた、株式会社ナコスの長山さん(現在は屋上遊園地『プレイランド横浜高島屋店』(以下、横浜店)店長)にインタビューしました。

吉祥寺店もたまプラーザ店も、閉園理由は建物の工事です。吉祥寺店の最終日は屋上遊園地ファンや常連の方が別れを告げに来て、手紙やお菓子を貰ったのが嬉しかったそう。
長山さんは平成の始まりの年、1989年から屋上遊園地で働いています。たまたま求人誌で見つけた、たまプラーザ店のスタッフ募集に応募し、それから屋上遊園地一筋。たまプラーザの運営会社は2回変わって現在の株式会社ナコスとなりましたが、長山さんは所属する会社を変えながら、平成から令和の屋上遊園地をずっと見てきました。

バブルの頃のたまプラーザ店、土日は1日5~60万円の売上が当たり前!ゴールデンウィークには1日100万円売り上げることもありました。
バブルが崩壊して景気が悪くなり、子供の数も減ったことで屋上遊園地に来るお客さんは減りましたが、華やかな思い出はバブルが崩壊した後にも。ドラマ「to Heart ~恋して死にたい~」(TBS系、1999年放送)の撮影がたまプラーザ店で行われました。撮影の時だけ屋上にクレープ屋が建ち、クレープが焼かれるのを見守ったり、乗り物を動かしたり。長山さんもチラッとエキストラで出演したそうです。ドラマ放送後は、若い女の子達が、今で言う「聖地巡り」に来ていました。
吉祥寺店とたまプラーザ店は閉園しましたが、長山さんと私が吉祥寺店で大切にお客さんを乗せていたトーマスのミニ鉄道は横浜店に移設され、今日もお客さんを乗せています。

屋上遊園地がひとつ閉園しても、物語は続いていくのです。そして株式会社ナコス特集も次号へ続きます!

ちびっこランド吉祥寺店(2019年閉園)

2011年、吉祥寺店にて。赤いポロシャツが制服。右端に飛び出ているバッテリーカーがありますが、お客さんが乗り終わったバッテリーカーを元の位置に戻すのも重要な仕事でした。

スカイランドたまプラーザ店(2012年閉園)

バブルの頃は桁違いの売り上げだった、たまプラーザ店。最終日は残念ながら雨で終日クローズでした。それでも常連が別れを告げに来ていたとのこと。愛されていた場所でした。

プレイランド横浜高島屋店 店長
長山さんにインタビュー

いつから屋上遊園地のお仕事をされているのでしょうか?
1989年からです。
求人誌で募集されていた東急百貨店たまプラーザ店の屋上遊園地スタッフに応募しました。
家から近かったというだけの理由です(笑)
初めに所属したその会社が屋上遊園地運営から撤退することになり、次に運営を任された会社に所属が変わりましたが、次の会社も撤退することになり、最終的に2009年から現在の株式会社ナコス所属となりました。
そのような経緯があり、株式会社ナコスの中で最も古くから屋上遊園地に関わっているスタッフは私です。
これまでどこの屋上遊園地でお仕事をされてきましたか?
主に、
・スカイランドたまプラーザ店(閉園、以下「たまプラーザ店」)
・ちびっこランド吉祥寺店(閉園、以下「吉祥寺店」)
・プレイランド横浜高島屋店(以下「横浜店」)
です。
筆者のmikkoもアルバイトをしていた、吉祥寺店はなぜ2019年6月に閉園してしまったのでしょうか?
1年毎の契約更新のタイミングで、東急百貨店さんが改装を行うことになったためです。
屋上に改装関係の荷物を置くことになり、屋上遊園地は運営を続けることが難しくなってしまいました。
吉祥寺店の最終日はどのような様子でしたか?
最終日も閉園の挨拶などは行わず、いつも通りの営業でした。
ただ、「本当にもう終わっちゃうんですか?」と残念そうな屋上遊園地ファンは結構来ていましたね。
閉園の告知をしたのは、閉園の1週間くらい前で直前だったのですが・・・。
常連さんも何人か来ていて、手紙やビールやお菓子を頂きました。
まさかプレゼントが貰えるとは思わなかったので本当に嬉しかったです!
自分はタダ乗りをする中学生には厳しいですが、常連さんには優しくしてきた甲斐がありました(笑)
筆者のmikkoもアルバイトをしていた、たまプラーザ店はなぜ2012年に閉園してしまったのでしょうか?
吉祥寺店と同じで、理由は建物の工事です。
屋上のゲームコーナーにテントがありましたが、工事後はテントが建てられないことになってしまい、運営が難しくなるため閉園となりました。
ちなみにこちらは最終日は雨で、全くオープンすることなく終わってしまいました。
寂しいという気持ちはなくて、「こんなもんだろうな~」と思いましたけどね。
それでも、最終日に1組常連さんが来てくれたことは今も覚えています。
閉園した屋上遊園地の遊具はどうなるのでしょうか?
使えないと判断されたものは廃棄で、使えそうなものは別の場所で使います。
横浜店のミニ鉄道は元々アンパンマンでしたが、閉園後に吉祥寺店から来たトーマスに変わりました。
わんぱくランド港南台高島屋店(以下「港南台店」)にも、吉祥寺店から移設された遊具がありますよ。
また、茨城に株式会社ナコスの倉庫がありますので、そこに移動することもあります。
株式会社ナコスは遊具の販売・リースも行っているので、屋上遊園地で使っていた遊具を他社に販売して海外で使われることもあります。
色だけ塗り替えて他のところに移設することもあります。
そういえば、たまプラーザ店にあったパンダカーは、スタッフが破れた所を自ら縫って使っていましたね。
1989年から30年間屋上遊園地で働かれて、変化などは感じますでしょうか?
たまプラーザ店で働き始めたのがバブルの頃で、今とは桁が違うほど儲かっていました。
土日は1日5~60万円の売上は当たり前。
ゴールデンウィークには1日100万円売り上げることもありました。
両替のお金が足りなくなって、会計に行ってたくさん100円玉を作りましたね。
人が来なくなったな、と感じたのはやはりバブル崩壊頃からです。
景気が悪いとどうしても遊びにかけるお金が少なくなるのと、子供が減っているのも理由だと思います。
屋上遊園地の対象は幼稚園から小学校低学年と、年齢層が限られるんですよね。
それでも、ここ横浜は吉祥寺よりはお客さんが多いなと思っています。
基本的にゲーム機や乗り物は30年間あまり変わっていないのです。
乗り物の一番人気がバッテリーカーやミニ鉄道というところも。
クレーンゲームなどの景品が大きく変わったなと思います。
今はフィギュアなど凝ったものが景品になっていますね。
最近は乗り物も凝っていて、画面が付いているものが増えているんですけれど・・・
基本的に屋上での使用を想定していないので、雨に弱くてすぐ壊れてしまうんですよね・・・。
屋上遊園地で働いていて、大変なことは何ですか?
屋上遊園地の営業は天気に左右される点でしょうか。
今年は特に台風が大変でした。
ミニ鉄道が脱線したり、乗り物が移動してしまっていましたね。
テレビ撮影などの思い出はありますか?
一番思い出に残っているのは、たまプラーザ店で撮影されたドラマ「to Heart ~恋して死にたい~」(TBS系、1999年放送)です。
撮影の時だけ屋上にクレープ屋が建ち、深田恭子さんがそこで働いているという設定の役でした。
クレープが焼かれるのを見守ったり、乗り物を動かしてくださいと言われて乗り物を動かしたりしました。
自分もチラッとエキストラで映ったんですよ(笑)
深田恭子さんと写真撮ったのも懐かしいな~。
ドラマ放送後は、若い女の子達が、今で言う「聖地巡り」に来ていました。
屋上でのイベントの思い出はありますか?
たまプラーザ店では昔、月に1回くらい、日曜日にヒーローショーやアンパンマンショーが開催されていました。
敷地が広かったので舞台を建てて。
ゴールデンウィークには3日間ずっと入れ替わりで2つのショーをやったりしていましたね。
日光さる軍団の太郎次郎も来ました。
夏祭りイベントは今でもやっています。
今年5月にも、吉祥寺店で最後にやりました。
ヨーヨー釣りや輪投げなど。
屋上のペットショップでは金魚すくいが開催されて、東急全体での夏祭りイベントでした。

株式会社ナコス 代表取締役社長
松井さんにインタビュー

株式会社ナコスの屋上遊園地運営の歴史について教えてください。
株式会社ナコスは1984年6月1日に設立されました。
2008年の4月から屋上遊園地運営を行っています。
最初は、株式会社ナムコ(現バンダイナムコアミューズメント)様が運営していた
・プレイランド横浜高島屋店
・わんぱくランド港南台高島屋店
・ファミリーランド さいか屋川崎店
・なかよしランド さいか屋横須賀店
・なかよしランド さいか屋藤沢店
を引き継いだところから始まりました。
先方と、先代の社長が仲が良かったために譲っていただいたことがきっかけです。
先代の社長は以前から屋上遊園地の運営をしたがっていました。

2009年には北海道の会社から
・スカイランドたまプラーザ店
・ちびっこランド吉祥寺店
の2か所の運営を引き継ぎました。
私は、屋上遊園地運営が始まった後の2010年から社長に就任しました。

屋上遊園地運営以外にどのような事業をされていらっしゃいますでしょうか?
小型を中心としたアミューズメント機器の販売・リース・レンタルなどを行っています。
以前は横浜ドリームランド(2002年閉園)のゲームコーナーの運営も行っていました。
3か所の「さいか屋」で運営されていた屋上遊園地の思い出を教えてください。
おじいちゃんおばあちゃんが孫と来て、SL(ミニ鉄道)に乗っていた光景を今でも覚えています。
その光景が忘れられなかったので、閉園は寂しかったですね。

株式会社ナコス 屋上遊園地運営ヒストリー

現在、プレイランド横浜高島屋店・わんぱくランド港南台高島屋店の運営や、アミューズメント機器の販売・リース・レンタルなどを行っている。かつては横浜ドリームランド(2002年閉園)のゲームコーナーも運営。

1984年6月
株式会社ナコス設立
2008年4月
株式会社ナムコ(現バンダイナムコアミューズメント)から
以下の屋上遊園地の運営を引き継ぐ。
・プレイランド横浜高島屋店
・わんぱくランド港南台高島屋店
・ファミリーランド さいか屋川崎店
・なかよしランド さいか屋横須賀店
・なかよしランド さいか屋藤沢店
2009年4月
北海道の会社から以下の屋上遊園地の運営を引き継ぐ。
・スカイランドたまプラーザ店
・ちびっこランド吉祥寺店

文:mikko(369days) 写真:milford(369days) 
SpecialThanks:株式会社ナコス

後編はこちら

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遊園地だいすきユニット 369days みるくでいず について

遊園地やメリーゴーランドがだいすきなmikkoとmilfordのユニット。
「遊園地は大人になってからがおもしろい!」をコンセプトに、書籍、公式サイト、フリーペーパー「ゆうえんちdays」、メディアなどを通じて遊園地の魅力やおでかけスポットを紹介しています。

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mikko みっこ

大学の卒業論文で遊園地について書くほど遊園地が好き!珍スポット、レトロスポットも大好き!「永原さくら」という名前で、アニメソング・ゲームソングの作詞をしています。

milford みるふぉーど

遊園地や旅行で街を巡ること、猫、片付けが好き!